猿ヶ馬場(源平古戦場)

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猿ヶ馬場

ここは、源平砺波山の合戦のとき、平家の総師平維盛が本陣を布いた跡で、今、ここに猿ヶ堂という小さな石の堂があります。これは古伝によると、天正年間、悪猿が出て民家に災害を加えるため、これを退治し、神に祀りその祈祷のためお堂を建てたのが猿ヶ堂です。むかし、峠へ登った馬がたくさんつながれていたところから猿ヶ馬場と名づけるようになりました。(解説板)
ここは、きれいに整備されていて、公園になっています。桜の名所でもあります。 源平古戦場
この石の周りで軍議を開いたのかな? 軍議の席順が書いてあります。
ここ猿ヶ馬場は平家の本陣跡であります。ここで平家軍の総大将平維盛が敵、木曽義仲軍討伐に備え各部将を集めて軍議を開いた所です。(解説板)
源平倶利伽羅合戦の地
寿永二年(一一八三)信州の木曽山中で兵を挙げた源義仲は、十万の兵を率いて京都から下った平維盛の軍と倶利伽羅山で対戦した。
火牛の計
春の夜半、源義仲が角に松明をくくりつけた牛の群れを先頭に、この山路を駆け抜け平家十万の大軍を破った。ここが源平の戦いに名高い『火牛の計』を策した古戦場である。

解説板より
源平供養塔
砺波山源平古戦場 黄色が源氏軍。紫が平家軍 火牛の計の様子
寿永二年(一一八三)
信州の山中で兵を挙げた源義仲は、京都をめざして北陸時を進軍。十万の兵を率いる平維盛と加賀・越中の国境砺波山(倶利伽羅山)で対戦した。
埴生護国八幡宮に先勝祈願の願文を捧げ、火牛の奇計を練り、五月十一日夜半、四万余騎にて一斉攻撃を開始。根井・巴両党は松永より、今井党は平家の本陣猿ヶ馬場正面の日の宮林より、余田党は天田峠より、樋口党は北黒坂から迂回して竹橋より、法螺貝を吹き、太鼓を鳴らし、関の声を挙げながら、角に松明を燃やした四、五百頭の「火牛」を放って突進。
長途の行軍にまどろんでいた平家は、あわてふためき右往左往。将兵は軍馬もろともに地獄谷に馳せこみ落ちて、相重なって谷を埋め、その数一万八余騎、と源平盛衰記は伝えている。解説板より
見晴らし小屋 ここから、谷を眺める ボタンを押すと合戦の説明が流れる。
源平合戦慰霊之地と書かれている 猿ヶ馬場方面 歴史街道
不動の茶屋の跡 十返舎一九の歌碑 歴史街道が続いている
十返舎一九の「越中道中ひざくり毛」を文政十一年(一八二八)に刊行した。その中にこの句がある
商いに利生ぞあらん 倶利伽羅の不動の前の茶屋の賑わひ
たいへんおはやりなされる、あらたかな不動様でありますので、このようににぎわっております。という意。(解説板から抜粋)
ここから、すぐに、日本三大不動の倶利伽羅不動寺寺があります。
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